2009年1月20日火曜日

研究会告知その3

第3回研究会(合宿形式)

人類学の手法、対称性人類学、自然と社会などのテーマについて、合宿形式で訳解と討論を行います。

◆日時

2009年2月10日(火)
18:00
~11日(水)
18:00

◆場所

八王子セミナーハウス
〒192-0372東京都八王子市下柚木1987ー1
(1)
Phillipe Descola "On Anthropological
Knowledge"後半の訳解

(2)
中沢新一「華やぐ子午線」『雪片曲線論』

(3)
Review Article:Artulo Escobar,
“The Problem of Nature Revisited: History and Anthropology”

(4)
Viveiros de CastroのPerspectivism
(観点主義) の概念について、対称性との関わりで

(5)
Anna L.Peterson,
"Book Review: Nature and Society"

(6)
Philippe Descola and Gisli Palsson,
“Introduction”, Nature and Society.


*ご関心がある方は、どなたでも参加いただけます。また、発表にエントリーしてしていただくこともできます。参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまで問い合わせください。資料などをお送りいたします。なお、上記のプログラムは、場合によっては、変更する可能性があります。
katsumiokuno@hotmail.com

1 件のコメント:

未開のスペシャリスト さんのコメント...

◆フィリップ・デスコラの「人類学的知識について」後半部の訳解(概要):あくまで個人的な覚書程度

民族誌家が調査過程で知識を打ち立てる方法は、似通っている。フォーテスは、フィールドワーク前に、彼の師であるマリノフスキーと話を交わした。マリノフスキーはフォーテスに、二ヶ月の間に、最初の不機嫌なフィールドからの手紙をもらうだろうと言ったという。その手紙には、食べ物、天候、プライバシーがないこと、原住民たちの行動の理解の困難さへの不満が並び立てられると。その4ヵ月後、今度は、楽観的な手紙が届けられる。そこでは、フィールドワークが順調に行われていることや、調査の作業仮説の兆しが報告される。おおよそ1年経つと、残された詳細を調べ上げるだけで、仕事はほとんど終了したという手紙が来る。しかし、その2,3週間後には、すべて間違いであったし、以前の理解の補正のために、新しい情報を得る時間が必要だと説明する手紙が届くと。

それは、わたし(デスコラ)自身が辿った道でもある。わが師・レヴィ=ストロースは、わたしが調査で、どのようなことをしようと思っているのかを長ったらしく説明したとき、「フィールドが君に与えてくれるよ」とだけ言った。今では、わたしはそれを、フォーテスに対するマリノフスキーの助言に匹敵するものだと思っている。わたしの学生たちもまた、フィールドワークの同じ段階で同じような手紙をわたしに送ってきた。そのようなことから、わたしは、以下のような野暮な結論にたどり着いた:フィールドワークには、リズムと持続が重要な手法である。

民族誌家たちは、観察された現実の忠実なコピーを作成することはできない。彼らは、二つの計略を用いる。一つは、他のものよりも重要であると思われている行動や発話を選択して組み立てること。もう一つは、こうしたエピソードを調査研究している集団すべてに意味のあるものに仕立て上げるべく一般化することである。民族誌家にとって、記述することは、観察したことを説明することだけではなくて、それを、自ら利用するために組織することを意味する。それは、謎である行動や発話を理解しようとして行われる、無意識のフィルタリング作業である。そのような、始まったばかりの解釈の試みは、フィールドに数ヶ月いる間の、純粋に、推測的なものというだけではなくて、民族誌家にとって、実用的に機能をもっている。なぜならば、フィールドワークとは、なじみの薄い習慣をもった共同体に入り込んでゆく観察者の身体、判断および行動をかたどる社会化と技能化のプロセスだからである。そのようにして、彼らが観察し、参加した行動が同じものとして起きる度合いを、彼らが構築した解釈と比較することになる。

民族誌学において、理解するということは、自らが理解することだけではなくて、他者に理解してもらうということも要求する。その最も一般的な手続きとは、文脈化である。それは、最初ヘンテコに思われた制度や信仰が、それが埋め込まれている意味の領域を反映させることによって、奇妙さを排除していくことである。逆説的なことであるが、民族誌家によって経験される社会生活の内なる一貫性こそが、調査中の現象が、正当な科学の対象であるということの証となる。さらには、その文脈においてかつて認められた現象は、当該文化圏に認められる同様の現象のバリエーションとして認識されるようになる。

さらには、地域を越えて、それは、一般化されてゆく。シャーマニズム、トーテミズム、および多くの「人類学の崇拝物」(などのクラス)は、このようにして生み出されたのである。ラドクリフ=ブラウンの帰納的一般化は、気まぐれであると非難されるような述部(クラスの内容、詳細)を説明しない。述部は、それぞれの対象において保持されている特性を追加すること以上のものではないし、クラスのなかに含まれるからである。自然科学にとって唯一の可能なそれの類比として思い浮かぶのは、分類法である。

こうした民族誌学的理解、つまり、人類学が正式に自らのものであると主張する発見様式には、はたして、方法論的特徴はあるのだろうか?観察者と観察した者たちが部分的に同一であることは、自己の他者への的確さの移動とでもいうべきものである。そのことは、民族誌家の特権といえるものではなく、ディドロが真理について与えた定義に一致する。ディドロは、人が他者のなかに自身について知ることができる希望の表現について書いたことがある。

最後に、演繹的に説明することは、人類学においては、ふつう、三段階の手続きとして描かれることについて述べておきたい:それは、繰り返し起こるとされている現象のあるクラスを分離し、これらの現象の間に存在する関係について仮説を立て、さらには、その形式的な属性を追究するために、これらの関係のモデルを精緻化する。しかしながら、人類学の演繹モデルは、ニュートン物理学のモデルとはちがって、字義通りには演繹的ではない。そのモデルによって行われる演繹的な変容の正当性を確認する厳密な手続きがそもそもないのである。なぜならば、モデルとは、空間のなかに繰り返されるプロセスの構造を理解するために直観的に構築された、たんなる物質的な配列—グラフ、図表、図解—だからである。モデルの真正性は、一方で、その内的構造、その現象の仮設的な構造の間の仮の的確さのなかにある。

この的確さは、もしそのモデルが期待されない(他の)事実に用立てることができるならば、立証できるとよく言われる。そのことは、知識の的確さにおいて、対象の本質的な真正性を明らかにしたというのではない。モデルの現実性は、社会生活において、そのモデルが実際に作動することの経験的な観察によってではなくて、その実在の条件を特定化するモデルのうちに確かめられることになる。

フィールドでも、あるいは、研究の隔離状況においても、わたしたちは、人類学者が実際には何をしているのかを見る時には、わたしたちの仕事が道具として用いる記述、理解、説明を、きれいに分けることは困難であるということは、何もいまさら驚くべきことではない。これらの手続き(=記述、理解、説明)および人類学調査の古典的な三つの段階の間には、相似関係があるが、古典的な三つの段階は、実際には、しばしば絡み合っている諸活動の純化された定義にすぎない。なぜならば、民族誌的な時間は記述的であるが、他者との部分的な同一化をつうじて、理解のための立派な測定法ともなるからである。その一方で、民族学的な時間は、理解するためのアプローチよりも、帰納的な説明に従う。さらに、もし人類学的な時間が、理論的に、仮説―演繹的な説明の管轄下にあるのなら、モデルを打ち立てる過程で用いられるあるクラスの現象に対して、自律性と物質性を与えることで、そのことを可能にした先行的な手続きに依存しないことはない。こうして、人類学は、科学の哲学によって設定される論理的要求に対して答える、あるタイプの手続きによって特徴づけられるような努力ではない。それは、むしろ、ある知識のスタイルである。経験をつうじて拾い集められ、わたしたちの特殊な手法において社会的事実を扱うさいに、同じような熟達の域に達している他者のなかに認められるような「こつ」なのである。このようにして、同僚によって人類学的な調査の評価が行われるようになるその手続きは、他の学問の科学者にとっては不透明にうつる。判断は、純粋な結果を参照することによってだけではなくて、暗黙なる運用法の専門化に応じて行われるからである。

さて、わたしの最初の問いに戻る時間が来た。わたしたちは、人類学者として、人間が、世界についての人間の経験のバラエティーを理解するために役立てるために与えることができる何か特別なものを持っているだろうか?わたしたちが時間をかけて発達させてきた知識の様式は、別のところでも役立つのだろうか?わたしたちは、グローバリゼーションの波に乗ったイヤイヤながらの帝国主義者であって、わたしたちの中古品を気乗りしないまま、それを本当に必要としないような人たちに売りつけようとしているのだろうか?あるいは、わたしたちは、いまだに、非・自民族中心主義的な理解をするための寄与をなしているのだろうか?わたしは、そうだと思う。わたしたちが用意した知識の様式は、疑いなく、わたしたちの惑星の仲間の住民にとってオリジナルな遺産である。中国人やアフリカ人の人類学者は、わたしたちが、西洋においてわたしたちの遠近法によって世界を説明するために鍛え上げてきた知的道具の的確さについて不安を持っているかもしれないが、彼らは、それにもかかわらず、ほんとうに気安く、わたしたちの仕事の基礎を形づくる調査手法、導かれた直観および自己流の技術の混ぜ合わせに適応している。その意味で、人類学の普遍性は、例えば、物理的な現実の法則のそれとは異なる。人類学の普遍性は、わたしたち自身の宇宙論の写本であるところの<メタ言語>から、そんなに前へ進むようなことはない。しかし、人類学の普遍性は、他者の他者性を理解することの新奇な形式から前へ進んでいこうとするが、それは、わたしたちが、人類学の正当性について正当化しようとするのにふけるというような必要のないことをするのではなくて、誰もがマスターすることができ、実りがあるとみなしているような、間主観性という普遍的な働きを、ある種の知識(=人類学)へと広げてゆくことなのである。

◆中沢新一「華やぐ子午線」の最初の3分の1の読解:あくまで個人的な覚書程度

自然哲学とは何か?その起源は、ギリシャ哲学のイデア論にまで遡ることができる。ギリシャ哲学は、自然を、能産的な(自然成長性をもつ)ものとして見るそれ以前の「古代の哲学」から身を引き剥がし、人間が自然を飼い慣らすために、言語による秩序化をつうじて、「自然哲学」を生み出した。その哲学の流れは、やがて、キリスト教神学を深く組み入れながら、ルネサンス期のデカルトを経て、カントの後、ヘーゲルによって、精神現象学のなかで、弁証法的なロジックをつうじて、完成されていった。ヘーゲル哲学が、正・反のあるいは主・奴の弁証法から組み立てられることが重要なのは、それが、それ以降の近代的自我の形成に大きな影響を与えただけでなく、現代のわたしたちの暮らしに、無視することのできない甚大なる影響を与え続けているからである。ヘーゲル的な自然哲学には、自己である主=文化が、他者である奴=自然に対して、その覇権を打ち立てるという基本原理がある。他方で、ニーチェ、ハイデガーからフーコー、ドゥルーズ、デリダへと連なるディオニソス的な哲学の系譜では、プラトンからヘーゲルに至る歴史において継承・発展させられてきた、アポロン的な哲学を転倒させる試みが行われてきた。

ところが、ニーチェ以前にも、ソクラテス=プラトン以前の自然哲学へと遡及する試みがあった。それが、17世紀のスピノザとライプニッツの哲学である。スピノザは、そのようにして、ドゥルーズによって、再発見されたのである。スピノザとライプニッツは、顕微鏡を発明したレーウェンフークと同時代人であった。顕微鏡の発明は、スピノザとライプニッツの哲学に革命的な影響を与えた。顕微鏡によって世界を高倍率で捉えると、世界はしだいに断片化し、フラクタル化する。それは、世界に対して、混乱をもたらすのではなくて、「断片の理法」のようなものを与えてくれる。スピノザとライプニッツが気づいたのは、世界はどんな微細な部分にいたっても、「理性」に貫かれているという自体であった。スピノザは、人間の感情も思考も、自然=神という能産的な力の場にあって、その力が自分を表出すべく成長してきたものとしての必然性をもっていると述べた。スピノザにとっては、あらゆるもの(=自然)に、自然=神の理法が宿っているのである(だから、反抗期の息子に、自らの精子を顕微鏡上で見せるならば、彼は、そこに神の理法が働いているのを自ら感知するかもしれない。それこそが、エティカなのである)。

ところで、スピノザによれば、そういったかたちで自然=神の理法に接近すれば、無秩序で、断片的で、混乱したものなど何もない。力強い、自然=神の理法の哲学が、スピノザによって、打ち立てられたのである。それに対して、スピノザにとっては、けがれたもの、邪悪なもの、おぞましいものは、人間が、つくり出した無秩序で、断片的で、混乱した理解の仕方である。そうした、けがれた不正なものをつくりだす思考や感情を理解するためには、構造人類学の象徴理論を参照するのが手っ取り早い。

ダグラスとリーチが、この問いに挑んだ。ダグラスは、けがれや混沌を外部にあるものとして設定して、内なる秩序が、その外部の曖昧さを取り除こうと努力することによって、かえって、けがれや混沌を産出すると説いた。リーチは、境界領域をつくり出して、不確実なものに対する不安を減じようとするのだが、そのことがかえって、けがれや混沌を生み出すのだと説いた。ダグラスにせよ、リーチにせよ、けがれや混沌は、思考によって、思考のあとからつくりだされたものでありながら、言語による明晰な思考の届かない、くすんだ見通しのきかない暗雲のなかに、封じ込められてしまうのである。

それは、上に述べた自然哲学との対比において語れば、プラトン~ヘーゲル的な、主=文化による奴=自然への覇権の確立に重なる事態であり、スピノザ=ライプニッツの唱える自然=神の理法が支配する自然成長する自然観とは真逆の動きを孕む考え方であると見ることができよう。どういうことか。中沢は、言語秩序以前の経験世界は、連続的な生の流れのなかに知覚が乱雑にほうり込まれている混乱したジャングル、経験のアマゾン河であるという。しかし、そのような事態を不安に感じる人は、ジャングルを伐採して、言語の秩序からなる明晰の小島をつくるという。明晰の小島のなかでは、以前よりも、ジャングルが濃密な、恐ろしいものと感じられるようになる。タブーや儀礼でも引き合いに出さなければ、その繁茂の力を食い止めることができないというのが、これらの構造人類学者の思考の道筋である。

ふたたび、スピノザに戻れば、わたしたちは、そういった、小ぢんまりとした有限の小島において、明晰な秩序づくりにいそしんでいる。ところが、この明晰さこそが、じつは、無秩序で、断片的で、混乱したものを生み出す源なのである。さらに言えば、わたしたちは、自然との関係において、誰もが、そうした、言語秩序による明晰の小島の住人となっている。実際には、自然成長する自然だけしかない。そのなかに、人間が対象化する所産的自然(物質的自然)と人間の精神活動のふたつの表出があるだけである。そのようにして、「自然は飛躍する」(自然成長する)。繁茂し、自然成長する自然を、それとはまったく異質な秩序に組み入れて「文化化」し、経験レヴェルから切り離された記号―象徴体系を、人間の知性はつくり上げようとする。構造人類学は、そうした自然成長し、繁茂する自然から、人間の知性を引き離そうとしたのである。