2009年4月22日水曜日

研究会告知その6

第6回研究会

”それ”は、いったい誰のレヴィ=ストロース理解なのか?レヴィ=ストロースは、実際にはどう言っているのか?「自然と文化」を読解・議論したうえで、デスコーラらによる「自然と社会」の序の後半に向かい、さらには、デスコーラの「自然と社会を超えて」に挑みます。

◆日時
2009年5月17日(日)12:00~17:00
◆場所
桜美林大学四谷キャンパスY305教室
JR四谷駅徒歩5分 電話:03-5367-1321
http://www.obirin.ac.jp/001/a028.html

・12:00~13:30
レヴィ=ストロース「自然と文化」
『親族の基本構造』青弓社

・13:30~14:30
Philippe Descola and Gisli Palsson,
“Introduction”, Nature and Society
の後半およびキーワードの整理

・14:30~17:00
Philippe Descola
"Beyond Nature and Culture"


*参加される場合には、事前に、上記論文に十分に目を通しておいてください。参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまでご一報ください。
  katsumiokuno@hotmail.com
*発表者の都合で、研究会のテーマを変更する場合があります。
*通常の研究会とはちがって、1回きりで議論が終わるのではなく、継続的に、議論を深めていくという形式でやっています。
*次回の研究会は、6月14日(日)の予定です。
*7月11日(土)~12日(日)には、都内で合宿を行う予定です。

3 件のコメント:

未開のスペシャリスト さんのコメント...

1.レヴィ=ストロースの論文「自然と文化」の検討

1949年に書かれたレヴィ=ストロースの「自然と文化」は、いまもって、自然と文化、自然状態と社会的状態を考える上で、きわめて示唆に富んでいる。先史学や霊長類学のその後の発展が、論述内容の緻密さを格段に高めているにもかかわらず、レヴィ=ストロースの思考は、いささかも揺らぐようなことないように見える。自然とは、人間のもとにある普遍的なものであり、他方で、文化とは、規範に拘束されるものであるという言い回しには、古びた感じがまったくしないどころか、新しい感じさえする。

 最初は、社会組織をまったく欠いていた人類が、その後、文化の形成に不可欠なさまざまな活動の形態を発達させるようになった。その意味で、自然状態から社会状態への移行という人類進化の一局面は、難題である。言語活動、石器加工、埋葬儀礼などを行っていたネアンデルタール人たちは、自然状態で生活していたとは考えられないが、後続する新石器時代の人類からは、絶対的に分かたれる。人間は、一個の生物であり、同時に、一個の社会的個体なのである。

 外的・内的刺激に対する人間の応答には、人間の本性(瞳孔反射など)に由来するものもあれば、人間が置かれる状況(手綱に触れるや即座に定まる旗手の手の位置)に由来するものもある。いったい、どこで自然は終わり、どこで文化は始まるのであろうか?隔離状態における新生児の応答は、心理―生物的起源に根ざし、後発の文化的総合には由来しないと仮定できるが、隔離状況はそもそも文化的環境に劣らず人為的である。また、数々のデータから類推すれば、「野生児」「オオカミ少年」「ヒヒ少年」もまた、文化的な怪物であって、どう転んでも文化以前の状態の忠実な証人ではない。要は、人間のなかに、文化以前的性格を帯びた行動類型の例証を見出すことはできないのである。つまり、自然と文化の境界を、どこかにはっきりと定めることは不可能なのである。

 それでは、動物の生活の高度な水準から出発して、文化の輪郭、文化の前兆と認めうる態度や現象をつかむことは可能であろうか?類人猿には、単語を分節できるようになるものもあり、ある程度までなら道具を使いこなすことができるが、それらの兆候はすべてもっとも原初的な現われの域を出ず、しかも根本的な不可能性であるかのように見える。つまり、巧みな観察を無数に重ねることで埋められるかもしれないと思われてきた溝は、逆に、一段と飛び越えがたいものとして現れてくるのである。

 しかし、それよりも格段に重要なことは、サルたちの社会生活には、明確な規範を形成する準備がまったく整っていないということである。大型ザルでは、哺乳類に見られる本能的なふるまいが弱まっているが、代わりに新しい平面でなんらかの規範をつくるところまではいけない。本能(=自然)が弱まる一方で、自然が去ったあとの領域は更地のまま残されている。

 じつは、こうした行動における規則のなさが、自然過程を文化過程から区別してくれるもっとも確実な基準となる。いいかえれば、制度的規則について、その起源を自然のなかに求めようとすることに、そもそも推論の誤りがあるのだ。要するに、自然と文化が連続しているとの誤った見かけに、二つの次元の対立地点を明らかにするように求めることはできないのである。そういったことから何が言えるのかというと、その場に規則が現れるなら、例外なく文化段階にいることになり、他方で、自然の判別基準は普遍的なもののなかに認められることになる。

 人間に共通する恒常的なものは、習俗、技術、制度など、人間集団の相違と対立を形づくるものの領域外にある。それゆえに、以下のように仮定することができる。人間のもとにある普遍的なものはなんであれ自然の次元にあり、自然発生を特徴とする。他方で、規範に拘束されるものは文化に属し、相対的・個別的なものの属性を示す。そのうち、インセスト禁忌は、規範および普遍性を、いささかの曖昧さもなく、しかも不即不離のかたちで示す。インセスト禁忌が、なぜ規則であって普遍性という性格をもつのかというと、いかなる婚姻型も禁忌とされない集団があるかというと、そんなものは絶対にありはしないからである。したがって、それは、自然的事象のもつ特徴的性格と文化事象のもつ特徴的性格を同時に示すのである。

未開のスペシャリスト さんのコメント...

2.デスコーラらによる『自然と社会』の「序」の逐語訳と検討(その1)


研究会では、「自然と社会」という西洋形而上学に通底する概念対立に挑戦する様々な試みが紹介される、デスコーラらの『自然と社会』の「序」の中核部分を読んだ。「自然と社会」という二項の間には境界はないという主張をすることになる霊長類学や先史学のような調査研究、民族誌によってもたらされる非西洋諸社会におけるその二元論の解体、さらには、現代科学において、そうした二元思考がぐじゅぐじゅに崩れていくような状況などが、次から次へと取り上げられる。さらには、野生と社会化された状態という、より普遍に近い概念対立が立てられて検討されるが、ふたたび、その新概念の不毛さが際立つだけであることが示される。だからといって、すべては、社会的構築物として、真理の外へと排除していいかといえば、それは極端へと走ってしまうことになるがゆえに、そうしたポストモダニストの言い分を横目で見ながら、「自然と社会」を出発点として、世界理解への入り口を探ってゆくべきである・・・というような、この本の重要な主張が語られた部分であると読んだ。言い回しを含めて、内容は難解というか、込み入っており、凝っている。とりわけ、ここの部分で書かれているエスノグラフィックな事実(以下の黄色にマークした箇所)に、わたしは、個人的には、スリルを感じる。

◎デスコーラとパルソンによる「序」『自然と社会』PP.5-11の自由訳

 「ヒト化」していく過程に巻き込まれてゆく長大な時間尺度をめぐって増えつづける証拠と同様に霊長類の動物行動学の最近の研究は、自然と文化の間のくっきりとした系統発生論的な境界のような概念を無効化する傾向にある。野生のチンパンジーの研究は、非―ヒトである霊長類が、ふつう、ホモファーベルの顕著な特徴であると一般に考えられていた石器を作成し、使うことを示しただけではなくて、また、それらは、チンパンジーの近隣集団が、著しく異なった様式の道具を精密なものとし、伝達することを示した。先史学者の用語を用いれば、チンパンジーは、そのようにして、物質文化に関して、別の「伝統」を持っている。また、ヒヒの中の社会的なふるまいの複雑さは、これまで、よく記録されてきた。

 ある個体が第三者の振る舞いに影響を及ぼすために別の個体からのある種の反応を引き起こすかもしれないという事実は、ヒヒが身体を単なる動きとしてではなく、ヒヒが基本的な状態において、ふるまいを理解して、分類ができることを示す。そのようなヒヒの到達は、彼らには、言葉の助けなしのメタ表象、すなわち、表象についての表象を形作る能力があることを示している。言語の発達は、おそらくは、ヒト化の過程、および進化の過程の中の一つ以上の何かではないということであり、それは、メタ表象を形成する能力によって可能になるコミュニケーションの発達の原因ではなく、結果としてみることができる。確かなことは、文化が、時間をかけて発展したということである。 文化は、約300万年前に最初のヒトとともに現れたのだろうか、あるいは、100万年後の最初に記録された道具と共に現れたのだろうか?しかし、最初の現世的なヒトであるホモサピエンスサピエンスは、誕生後おそらく10万年も経ってない。埋葬の起源は15万年前に遡ることができるし、最初のかまどの使用は、450,000BCであった。文化の起源を、ヒト化の過程の単一の段階と遡ったり、帰着させる考え方は、このように全く非現実的に見える。

 自然と文化という二元論に関わる見方に関する移行は、スキル獲得と専門的知識に関する民族誌的研究においてもたらされた。学習についての伝統的な理論によれば、新参者である個人は、徐々に文化的記号あるいは超有機体的(精神的)台本を内面化することによって相応しい人格となる。言い換えれば、人格は、社会環境から、ますます増加する情報の量を吸収するような、疎外された容器として見なされる。しかしながら最近の研究が示しているのは、人格対環境や個人対社会といった根本的な対立が学習的過程の文脈的性質についての十分な理解を妨げるということである。個人についての構成モデルを想定し、学習過程の中にエージェンシーとダイアローグを導入しながらレイヴたちは、どのようにして学習が、実践コミュニティの中に位置づけられるのかを明らかにした。そのようなパースペクティブは、デカルト的伝統の根本的な崩壊を示唆する。研究の焦点は、もはや受動的で独立した個人でなくて、特定の文脈の中の全体的な人格である。人類学的フィールドワークは、現在これらの線に沿って鍛えなおされている学習の一つの枝である。フィールドワークの経験は、高度に「個人的な瞬間」を含んでいるが、それは、単一の営み、すなわち独り言のようなものではない、民族誌は、同僚や配偶者、友人、隣人を含む対話論理の産物-「長い対話」による集合的な結果である。

 近代主義の批判者たちは、以下のように議論する。過去の理論的な二元論に対する今日の不満は、今もなお、たんに、ポストモダニストの気まぐれであり、自然と社会の二元論の解体は、現実の世界の手堅い証拠と確実な観察よりも、アカデミックな労働市場および流行のレトリックにより関係していると。この種の批判は、ウォースターの今日はやっているカオス理論の言葉の中に含まれている。彼は、科学におけるカオス理論とポストモダンの思考の間には驚くべき並行関係があるという。しかし、民族誌言説は、それとは異なった主張を招く。この本の執筆者を含めて、多くの人類学者にとって、一元論への捉え方への移行は、自然と社会の二元論がまったく意味がない社会におけるフィールドワークによって生み出されたように思える。例えば、アマゾン川上流域のアシュアル・ヒバロは、デスコラによれば、ほとんどの植物と動物を、それ自身の社会に生き、社会構造の厳格なルールに基づいて、人間との関係に入り込むような人格として捉えている。獲物の動物は、男たちによって姻戚として扱われ、耕作される植物は、女性によって親戚として扱われる。同様の状況は、アマゾン川上流のマクナの人びとにも広がっている。彼らにとって、人間は、特定の生命の型を表しており、行動の単一的および包括的なルールによって規制される、より広い共同体に参加している。

 こうしたコスモロジーは、アマゾニアの先住民だけに限られているわけではない。なぜならば、この本のほかの寄稿者たちも、顕著なかたちで同様の見取り図を示しているからである。例えば、ハウエルは、マレーの熱帯雨林のチュウォン人は、人を他の存在から区別しない。植物、動物と精霊は、まずは理性、知性と道徳コードという意識を与えられていると言われる。異なったクラスの存在の間の存在論的区別は、チュウォンにおいては、打ち立てるのが難しい。人と非ヒトは自在にその姿を変えることができると、うわさされる。そのようにして、彼らのほんとうのアイデンティティーは、一見すると突き止めるのが難しい。同様に、ヴィディンは、マロボ礁湖の先住民たちは、有機体と非生命体は、人間社会から切り離された自然の領域を構成しているとはみなさないという。ヴィディンは、彼らの環境を描写するときに用いるカテゴリーは、二項対立よりも類比的なコードとして機能し、これらのカテゴリーは、人びとが、彼らのエコシステムと契約していると見ているようなやり方に左右されること示している。セラム島のヌアウルの例を引きながら、エレンは、注意深く、自然の概念を完全に壊してしまわないようにしている。彼は、ヌアウル人の社会で、観念的な空間のいくつかの次元が、私たちが西洋において自然と認めているものと等しいと解釈するできるという。しかしながら、これらの次元は、高度に文脈に依存している、変わりやすく偶発的であるということを、彼は強く主張する。他方で、多くの場合に、民族誌的なデータは、私たち自身の自然と社会の二元論に平行しているということを、彼は強調する。

未開のスペシャリスト さんのコメント...

2.デスコーラらによる『自然と社会』の「序」の逐語訳と検討(その2)

 非西洋の現実を理解しようとするとき、不適切であるように思えるだけではなく、自然と社会の二分法は、このタイプの二元論が、現在、科学の実践を適切に説明しないという感覚がますます大きくなってきている。ラトゥールが主張するように、対立するものを含むような存在論的な領域として、自然と社会を物象化することは、現在の科学が実践において二元論的なパラダイムの基準にかなったことが一度もなかったという事実を覆い隠すことになるような認識論的な純化のプロセスの結果である。少なくとも、近代物理学の当初から、科学とは、物質的な効果と社会的な伝統が、ほどきがたく、絡まりあったハイブリットな人工物および現象を恒常的に生み出してきた。二元論のパラダイムが人工的に作られたことについてきづくことは、科学的なプロセスそれ自体のますます増大する人工性への警戒によって励起されてきた。ノースネーゲルは、対称性人類学を唱道しながら、ジェノバの実験室のSERN副業企業での民族誌調査で得られたデータを用いて、ハイテク科学は自然を再生産すると主張する。科学は、自然における現象を扱うのではなくて、高度に複雑な技術道具と数学的なモデルを媒介させながら、それ自体の事実および証拠を生み出している。

 素粒子物理学においてすでに明らかとなっていたのであるが、この論点は、バイオテクノロジーの発達が、「非自然的に」マスで生み出される新たな生命の様式の、環境的、哲学的そして倫理的な結果に関する関心の高まりを喚起するに従って、今や広く大衆にまで届けられた。リチャーズとルイヴェンカンプが議論しているように、テクノロジーと社会科学は、対立する関係にあるものとして描かれることも多いが、社会的な過程としてテクノロジーの段階に意を払うならば、そのような二極化には同意しがたい。同様に、人間の再生産についての新たなテクノロジーや、動物の遺伝子操作、異種間移植に関する調査研究は、長きに渡って支配的だった人間と人間以外のものとの間の境界を曖昧にし、さらには、親族の絆や人格の形成と破壊などについての社会的な表象を改変する。このような技術はまた、考えるべき対象を、個人ではなく遺伝子情報や身体のパーツへと移すものであり、人間中心主義的な偏見を消し去ることになる。同様に、遺伝子組み替え作物や修正された有機体の微分子に関する研究は、遺伝子レベルで変換された有機体を解き放つことが、環境においてバイオハザードのリスクを増大させるのではないかという恐れへとつながっている。バイオテクノロジーは、生々しいかたちで、動植物の飼育・栽培を蝕むのだけれども、新たな遺伝子工学の技術によって開かれた可能性は、自然がたんにますます社会によって生産される人工物へと置き換わって行くだけでなく、市場の法則に従う人工物になるという事実を照らし出す。社会科学者はいま、体組織や体液、細胞や遺伝子物質など、人間の有機体についての財産を認めることに抗して、「不安なケース」を探求している。ある人にとっては、このような商業化は非人間的で唾棄すべきであり、人間性や尊厳に対する侵害である一方でそれは人道主義者の努力であり、身体のパーツの供給を増すことなのである。

 ラディカルなポストモダニストたちは、「事実」「証拠」ないし「経験的証明」はモダニストの構築物であり、啓蒙主義とヨーロッパの歴史の遺物であるとして、異議を唱える。確かに、突き詰めれば真実のようなものは何もない。パラダイムや認識の土台は、不可避的に社会的構築物なのであり、特定の時間と場所の産物である。そのようであるのだけれども、いくつかの構築物は、世界を理解するために他のものよりは、適切ではないし、それらが経験を反映するのに失敗したり、対立を示す場合には、修正されたり、破棄されたりしなければならない。

・見当違いの試み

 自然についての西洋の考えのいずれもが、多くの社会において欠落しているとの主張は、単に意味論の問題であり、「野生」などの代替概念のほうがより普遍的であり、自民族中心主義でないと論じる人たちもいる。多くの文化が明示的あるいは暗示的に野生の性質を彼らの環境のある部分へと帰着させているし、そのようにして、ヒトの直接的なコントロールを超えた特定の空間を同定しているというのは、確かなことである。エレンは、自然に関するすべての当事者が抱いているエミックな解釈の認識的な次元は、人間の直近の生活空間の外の範囲の空間的な定義であると示唆している。しかしながら彼はまた、野生状態と社会に適応化した状態の区別は、インドネシアのヌアウルにとっては、状況に極めて左右されるということを指摘している。場合によって、Wesie(一次りん林)は、人ではないとされ、場合によってそれは人とされる。場合によってそれは男性であり、場合によって女性で、場合によってそれは敵対的なものであり、場合によっては命を育むものである。ヴィディンも似たようなこと述べている。ソロモン諸島のマロヴォ社会のいくつかの概念は、「野生―飼育・栽培」とぴったりと合っているにもかかわらず、二元論的な構造の中では作動することはない。

 野生に関する明白な概念を持ち合わせている文化においてでさえ、野生と非野生の明確な区別が必ずしもあるわけではない。戦後の日本の山林を木材プランテーションへと変換することでもたらされた結果を分析する中で、ナイトは「野生」と「栽培化」との間に、曖昧なかたちの区別が混在することを示した。山村民にとって、古い森林は、自然秩序の具現化であると考えられた一方で、新しい森は、極端に無秩序な空間となったのである。そのようにして、技術的に、栽培された空間、すなわち、この見捨てられた産業林は、それが取って代った天然林の野生の属性を保持することになった。森林が道徳的価値を剥ぎ取られ、脱社会化されたことにより、これらの属性は、今となっては、全体的には否定的なものとなってしまった。ナイトが主張するように、このような移行(転換)が、いくつかのケースにおいて、「野生」環境は栽培化されたものよりも満足のいくように統制され、社会的・技術的・観念的であるという事実を反映している。同様に、ヘルは、現代の北西ヨーロッパでの狩猟に付随した価値のなかに表現される野生のカテゴリーにおける基本的な両義性を強調した。この地域では、自然と文化の対立は、一方ではジェンダーステイタスと男性の優位性を規定する原初的に肯定的な狩猟への強制、他方では獲物の「黒い血」に過度に接触することで、野生的になるハンターにつきまとう危険の間で揺れ動く両義的な態度によって調停されている。野生性は森の中にあるとともにその人自身の中にもあるので、肯定的なものとして価値を付与される狩猟は、この自然と社会の両義的な共存をコントロールする能力を含んでいる。これらのすべての場合において、野生性の考え方は、文脈に応じて変化する。それらには、二元性パラダイムにおいて用いられるような自然の存在論的な観念の代用品としての資格を与えることはできない。

 近代主義のプロジェクトおよび、自然科学と社会科学の間の今日的労働の分業への批判に対する反応は、自然と社会を超えた概念の見方を交換することであり、そのことは、自然と社会の領域の根源的な類似性を強調することになる。自然科学のいくつかが、社会科学から共同体と社会の概念を借用してきた。 同じように、人類学のいくつかの部門は、自然淘汰と遺伝子の適合性に関する生物学の概念を採用したのである。例えば、リチャーソンは、「人類生態学のある理論は、社会科学および生物科学の理論構築の間に存在する類似性から容易に発掘することができるし、このアプローチは非常に有望である」と示唆している。しかしながら、そのような概念上の交換は単なる二元論の落とし穴をたんに強調するものにすぎない。それぞれの陣営(=自然科学と社会科学)は、独自の形式の還元主義を実践し続ける。すなわち自然と社会の対の一部が他を植民化することになる。そのようにして、社会生物学は、ダーウィン的な淘汰の自然法則のもとに、文化を包摂することを強調するのである。